下村 泰代

H6年4月~8年5月
名古屋市立大学病院 歯科口腔外科:臨床研究歯科医
H8年6月~9年9月
米国アイオワ州 アイオワ大学 歯科口腔外科 :臨床研修医
H9年10月~11年3月
名古屋市立大学病院 歯科口腔外科:臨床研究歯科医
H11年4月~15年3月
名古屋市立大学医学部 大学院医学研究科 生体高分子部門 生物免疫学分野:大学院生
名古屋市立大学病院 歯科口腔外科:臨床研修歯科医
名古屋市厚生院:非常勤歯科医師
H15年5月~20年3月
米国ボストン マサチューセッツ総合病院
ハーバード大学医学部 免疫病理学講座:研究員
H20年4月~21年9月
藤田保健衛生大学病院 麻酔侵襲制御医学講座:助教
H21年10月~現在
藤田保健衛生大学病院 麻酔侵襲制御医学講座:講師 

私が麻酔科医を目指した理由

名古屋市立大学の口腔外科医として働き始めて5年目、全身麻酔の知識の必要性を強く感じた私は、同大学の麻酔科勝屋教授に麻酔科研修のお願いしました。

頼んだ自分は、実は不安でいっぱいでした。というのは、大学内でも麻酔科は最も恐れられていて、私たち外科医はいつもビクビクしながら麻酔科に全身麻酔症例コンサルトに行っていました。

しかし研修が始まってみると、優秀な麻酔指導医の先生が丁寧・親切にご指導してくださいました。

それが西田教授と湯本講師との出会いです。ICUと手術室でバリバリ働くお二人の姿がとても印象的でした。

西田先生はまだ30代にも関わらずICUも任されており、術後や病棟で管理に行き詰まった患者さんの治療に専念されており、口腔外科の患者さんもよくお世話になりました。

西田先生の治療は、全てそこに深い深い理由がありました。その時に口腔外科医として、これまで患者さんの局所しか診てこなかった、見えていなかった自分を恥ずかしく思いました。

湯本先生はその頃はもうお子さんがいらっしゃったのですが、女性ながらも常勤医として男性並みに働く姿に、私はものすごく憧れました。

そしてこの麻酔科研修を機に、私は欲ばりになろうと決めました。「女性として幸せな家庭を持ちつつ、医師としても働き続けよう」と。

それから10年後、私がハーバード大学の留学から帰国を決意した時に、麻酔科研修以来の親友の麻酔医から、「西田先生が藤田保大の教授になったよ!」という朗報が入りました。ありがたいことに西田先生から「研究をやってほしい。」と誘っていただきました。そして「いずいれは湯本も来るよ。」と聞いて、あの市大で行った麻酔科研修を懐かしく思い、縁の深さを感じ、ここで研究させていただこうと決心しました。

私の現在のキャリアについて

現在は大学院生の研究指導をしています。

今話題のiPS細胞もそうですが、これからの研究は、研究室だけで行われる研究ではなく、それが広く臨床に応用されてこそ価値がでます。

そこで当講座では、臨床と研究のかけ橋となるTranslational Researchを中心に行っています。

それに私もそうですが、臨床科医としては、基礎研究だけではなかなか興味を持ってもらえませんからね。

当講座では臨床で疑問に思ったことなどをもとに、研究を進めています。

ヒトやマウスの免疫系細胞を精製し、薬剤や血液浄化などの治療法が免疫にどのような効果をもたらすのか研究しています。

仕事のやりがいや、仕事の中で得た大切なこと

口腔外科医2年目、ボランティアで口唇口蓋裂の手術にベトナムに行きました。そこで、多くの口腔外科医の先生方と出会い、世界の広さを知りました。2回目のベトナムで知り合ったのが、アメリカアイオワ大学の口腔外科教授で米国口腔外科学会理事長も務められたLew教授でした。これからの口腔外科医として、インプラントと顎骨形成術を学びたく、Lew教授の教室に臨床研修医として1年半留学しました。英語のできない私にとって、最初の半年間は生活も仕事もとても辛い毎日でしたが、徐々に慣れ、これがその後のハーバード留学への自信に繋がりました。

臨床医として5年目、今後も大学病院で働き続けるために研究が必要だと思いました。

何科の大学院に進もうか迷った時、市大の生物免疫学の岡田教授と出会い、生体のもつ免疫力に興味を持ちました。

当講座の西田教授もいつもおっしゃっていますね、「僕達医者が患者さんを治しているのではなく、患者さんは自ら病気を治そうとしている。僕らはそれをお手伝いしているだけなんだよ。」と。

その意味が、当講座のロゴにも込められており、患者さんの助かろうとする力を見落とさず、医師が手を差し伸べて救おうとしています。

その助かろうとする、治そうとする力が「免疫力」なのです。

市大の大学院で免疫学を専攻し医学博士を取得した後、世界レベルの免疫の研究に憧れ、今考えれば無謀にも、ハーバード大学医学部のマサチューセッツ総合病院のBhan教授の教室である免疫病理学の門をたたきました。

運よく契約も決まり、有給でresearch fellowとなりました。しかし、そこでボスから言われたのが、「インパクトファクター10点以下の雑誌は要らない。」でした。その言葉は私にとってかなりの重責でした。しかも研究レベルも高く、周りのラボではどんどんクビを切られていく日本人研究者、私は胃痛と多数の円形脱毛症に見舞われました。

しかし、素晴らしい指導者Dr. Mizoguhiに出会い、研究は進みました。1年目で免疫学の最高峰群の雑誌でもあるImmunityに名前が載りました。それで当初は1年契約の予定が、3年、5年と伸び、ペーパーは8報、インパクトファクターは100点近くになりました。次はハーバードのインストラクターか!となったころ、一緒について来てくれた夫と子供が日本への帰国を切望しました。これまで私のやりたいことに対して文句一つ言わずについてきてくれた夫と子供には、本当に頭が下がる思いでしたから、私は帰国を決意しました。

しかし、ちょうどその時に当講座が設立され、市大麻酔科研修時代に尊敬したあの西田先生が教授に就任され、親友の麻酔科医を仲介し、西田先生が私に研究の場を与えてくださいました。

そして、憧れの湯本先生に再会し、素晴らしい医局員の先生方と出会えました。大学でも新たな人間関係ができ、他科の先生方とも家族ぐるみでお付き合いさせていただいています。

このように、私の人生はいつも「人と人との縁」で築かれています。

優秀でよい人ばかりの縁なので、良縁に恵まれたのだと思います。

「今、自分の目の前にあることに疑問と興味を持って立ち向かい、努力する。
そして、それができることに感謝し、支えてくれる皆さんに報いるためにまた努力する。」

苦労ばっかりと思っていた自分の人生だけど、気がつけば、こんなに素晴らしい出会いと結果をもたらしていた。

そんなことに、仕事を通じて気付かされました。

私の進む未来とは

当講座の研究結果を一流医学雑誌に載せることです。

それを目指して、日々研究しています。

麻酔科を目指す方へ伝えたいこと

「木を見て、森を見ず 」=「局所を診て、全身を診ず」では患者さんを救うことはできません。

そして、医学は「日進月歩」です。「井の中の蛙」ではだめなのです。

今どんな治療法や研究があるのか、また必要とされているのか、いつも世界に目を向けることが必要です。

また、どんなに素晴らしい蛙さんが井戸の中にいても、その存在さえも知られなければ、世界のためにはならない。

学び、発信する、それが医学の発展と世界人類のため必要なのです。