くりやまくんの四方山話
【留学先】ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院(MGH)麻酔科
Bostonの夏は7月4日の独立記念日頃に暑さのピークを迎え、徐々に夏の終わりを感じます。Bostonの夏は本当に短い!この季節を大切にしないと。さて、今年の独立記念日は例年よりさらに警備の警察官が多く、Charles river の会場近くでは10mに一人ぐらいの間隔で警察官がいました。ものものしい警備でSWATも警備に当たっていました。(初めて見た!)3度目の花火も見ることができたし、満足、満足。Boston生活もあと2ヶ月。日本に帰ることを真剣に考えないと。さて、海外生活を開始する際に(3ヶ月以上在留)、日本大使館・総領事館に在留届を提出する必要があります。インターネットで簡単に提出できる書類です。選挙の案内や、テロの情報なども送ってくれます。国家に守られていると感じる瞬間です。海外生活して早2年、いろいろな価値観が変化しているな、と自分で思う今日この頃です。今回は、他の人の留学体験記などを参考に、自分の価値観のどこが変化したのかを考えてみたいと思います。
「アメリカでは、人と人との距離感が近くとてもフレンドリーです。とても自由な環境で、上司とも対等な関係でした。多様な人種の人たちとコミュニケーションとり、価値観が広がりました」
みたいな文章が、よく留学応援サイトに載っていますね。え?それ本当なの?そんなこと言ってみたいな〜という感じです。確かにアメリカ人たちは、表面上はフレンドリーです。ちょっとでも知っている人に会えば How are you doing?とかって声をかけてくれます。握手をしたり、ハグをしたり。基本的には親切ですし、日本ではちょっと面倒くさいことかな?と思ったことでも頼んでみると案外やってくれます。私自身も、最初はここの人はいい人たちばかりだな~と単純に思っていました。しかし、よくよく話を聞いてみるとそんな単純なことではありませんでした。声をかけたりしてくれるフレンドリーさは、コミュニュケーションを円滑にするためのツールに過ぎません。その人に対して好意があろうが悪意があろうが、会えばフレンドリーです。頼みごとをすると、いい返事をしてくれるのに、何にもしてくれないこともありました。個人が出来ることに関する権限がはっきりしているためか、できないことはできない、それについては知らない、とはっきり断られることもあります。仮にやってくれたとしても、依頼する側、される側の立場が日本より明確な気がします。上下関係が無いというより、実際に仕事ができる方がえらいって感じです。結果が芳しくなくても、「私たちはベストを尽くした、数ある選択肢の中から私たちを選んだのはあなたでしょ?」的な感じで一生懸命言い訳してきます。いつもフレンドリーで、自分の不利になるような態度を取らない、自分の専門ではない責任の取れないことはしない、私は常にベストを尽くしている、意見・文句があるならいつでもきてね(こないのなら納得したってことね)、というのが私のアメリカ人に対する印象です。実に合理的です。各々が自分のできることしかやらないから、他人に過剰なサービスを求めない。追加のサービスにはそれなりの対価を払う。実にわかりやすい。日本では誠心誠意の/真心をこめたサービスなどという、過剰なサービスを無料で享受していたのだなって思います。
話は変わりますが、髪を切りに行くのが面倒なので、自分で髪をバリカンで刈っています。坊主頭のせいか、日本人以外のアジア人によく間違えられます。そのため、行動くらいは日本人らしくと思っていますが,,,日本人らしさってなんでしょう?空気を読み、協調を大切にする。規律、時間、約束を守る。(でも、就業時間はまもらない。そもそも今の私に就業時間なんてないですけど)任された自分の仕事を全うする。そんな感じですかね?留学当初、日本での協調性と規律を求める癖が身にしみていたせいか、まわりの人たちを真似ようとしました。が、無理でしたね。多種多様すぎて、なにが当たり前なのかわかりません。そして、真似しようと思える行動もあまりありませんでした。当初はそんな風にも思っていましたが、2年間という時間はあまりに長く、知らず知らずのうちに楽な/怠惰な生活に慣れてしまいました。(あと甘い食べ物にも舌が慣れてしまいました)日本とアメリカのダメな部分を身につけてしまいました。帰国した後、アメリカ気触れの扱いにくい人と思われないようにしないと。
これまでにも書いてきましたが、私が留学しているlabのfellowは日本人が殆どです。つまり、lab内では日本語で会話可能です。(日本人以外のfellowがいるときは英語です)ほとんど英語を喋ることがありません。Emailが殆ど唯一の英語に接する機会です。Collaboration 先にemailを送る際には、今でも金木先生のcheckを受けています。Specificかつ相手に誤解を与えないような文章を作成することにとても難渋しています。全くフランクな文章ではないですね〜〜。会話に関しては、殆ど上達していないです。日常生活はシチュエーションから、また実験に関することはお互いに目的がはっきりしているので、ある程度内容を推測しなんとかやっています。特に複数人との雑談になると、全くお手上げ状態ですね。まず圧倒的に足りないのがボキャブラリー。日本語でも誤字脱字が多い私ですから,,,大変です。英単語だと思っていたのが、実はカタカナ英語で全く伝わらない。なんでこんな名前にしたのか、怒りを覚えますね。そして文法。久しぶりに英文法の教科書を手に取りましたが、「そういえば、こんなのあったね〜」とまるで卒業アルバムを見ているかのよう。そもそも日本語文法すらろくに知らないことを再確認。小中学公の頃の国語の授業の記憶といえば、《この時の作者の気持ちを答えなさい》とか。そんな頃から空気を読むことを習っていたのですね。実に日本的。
また「海外生活をしたことで、日本基準の狭い了見から解放された」との感想を多く見かけます。これに関しては、私も同感です。日本では、誰が決めたかわからない細かいルールが確かに多く存在していたな、と思うようになりました。一つ一つに意味があろうが無かろうが、そのルールの中で生活していれば、協調性を乱すことなく団体行動ができ、みんなと同じことで安心する。何か問題があれば皆で協力し解決しようとする。その一方、異なる/新しいルールに関しては否定的で、保守的だな〜と改めて感じます。私自身も変化を好まないので、保守的な考えには賛成です。が、慣れとは怖いもので、アメリカにもついつい日本基準を持ち出してしまいますね。全く通用しないのに。アメリカでこのギャップなので、他の地域はもっと大変だろうな〜。日本で海外の人たちがちょっと変わったことしていても、大目に見てあげよう、って気になりました。
さて、帰国に向けての準備を本格的に考えなければならない時期になってしまいました。基礎研究にも興味が湧き、もっと色々やってみたかった、満足のいく綺麗な画像を撮りたかった、と感じています。いままで当たり前だと思っていたこと、信じていたことは、教科書を記憶していただけの知識で、その根拠やメカニズムを理解しようとしていませんでした。先人たちが培った知識、技術、そしてその元となった発想。そのすべてに驚くばかりです。教科書一つのセンテンスを書くために費やした時間を想像すると、暗記するだけでは申し訳ない。
知りたいことは山ほどあるけど、時間がない。これが一番変わったところかな?
ということで、また来月!
近所からの夜景です。綺麗です。
難易度のたかそうな遊具。どうやって遊ぶのだろか??